<<人生の転機 ーー近所の小型やくざに火の玉抗議す>> 我が家から20mしか離れていない家から、突然猛列な、 大音響の音楽(騒音)が、急に流れてきた! 「ズンズンズーン」「ドンドンドーン」ゴンゴンゴーン」 「バリバリバリー」「ギーンギーンギーン」など といった音が、夕方から夜の10時まで小型やくざの徒弟が 住む宿舎から流れてきたのです。クラッシクや演歌の名曲 でなく、ロックやジャズでもなくわけのわからない音楽が 、1か月くらい、自分の勉強時間に流れてくるようになっ たのです。相手はやくざだということはきいていました。 意を決して、抗議にいったら1回目は留守だった。その時 、その家の隣にすんでいる若い人がうまいギターを弾いて いたので、自分は上がって話し込んでしまった。一通り、 名演奏をきいてから、あなたたちは、あのひどい騒音を よくがまんしているねと聞いた。ギターの若い20代のお兄 さん2人は、顔を見合わせて「相手はやくざだから。。」と いうのです。「抗議しても仕方ない」ともいうのです。 (確かに、となりの銀行員も教員も全然、言っていきません。) この時は、自分はすごすご自宅に帰ってきました。1週間 たってから、特にひどくなってきた音に、ついに怒り狂い 母親にも言わず、やくざの家の玄関をガラ―とあけ、出て きた親分にむけて、「あんた、あの大音量で近所にすむ人 が寝れると、思っているのか? 。。。。」と、大声で いいました。親分は、『腕を組んで』びっくりしたように こっちを見おろしていました。当然、あやまりはしません。 すぐ、玄関の引き戸をしめて自分はかえりました。 3,4日したら、自宅にその親分がきて「うちの若い衆 が、音楽を鳴らしとらんとやっていけんというから、 いままでどおり、鳴らさせてもらいますよ。」というの です。このとき、自分は難問を解いていて頭がかんかん だったので、自分も腕をくんで応対していました。「で も、ものすごい音ですよ」といったら、「なにー! と 家にあがるような恰好をしました。」そのとき、台所で 炊事をしていた姉が、「何を話しているのー」と、 声をかけてきました。すると、親分は「チィー」とか 何とか言って、玄関の戸をガラガラーピシャンと閉めて 帰っていきました。その瞬間、自分が腕を組んだまま、 話を全部終えて、「しまったと思いました」が、もう 遅いです。ふくろだたきにくるなと予想しました。 すぐ、その夜からドドドーンとかすごい音の音楽が鳴 り響き始めました。相手がやくざだから、今度は警察 に行こうかと思っていたら、10日後から急に、音量が なんとか、我慢できる音になりました。不思議がって いると、自分の母親が「あそこの奥さんが、夜10時に 我が家の前まできて自分で聞いてみて、これはひどい、 高校生の言う通りだと、やくざ親分を叱ったというの です。 自分も母親に、「よく言いに行ったねーーーー」と 叱られました。 この話の続き: それから30年後に、このやくざの家の5m前に、市 の重度障碍者大型施設がたてられることになりました。 年頃の娘をもつヤクザの親分はおろおろして、建設 反対運動の主役をかってでて、近所の人に署名をもら いにきました。市の職員とは近所の人間が何度も会議 を開いて話し合いました。娘自らが、署名をもらいに きたことを、近所の住人から聞きました。うちの母親 は弁がたつので、建設反対の演説を何度もしました。 半年くらい、市のえらいさんや担当者相手に熱弁をふ るったので超有名になってしまいました。 結果的には、障碍者施設が立ちましたが、重度障碍者 がこの周辺住人に迷惑をかけることは一度もありませ んでした。現在も、集団で散歩をしている重度障碍者 がとおられると、同情の念を禁じえません。そのくら い重度です。付き添いの人も、何人もついています。 この大型施設が建設されたあとの式典で、なんとやく ざ親分と会う機会がありました。そのとき、自分は耳 をうたがうような言葉を、やくざの親分の口からきき ました。『おれはあんたの家を尊敬している、ばあさ んといい勇敢で立派だ。おまえも高校生のときに、俺 に文句をよくも言いいにきたなー、おぼえているよ』 と。 追記: 1. このやくざの奥さんに、命びろいをさせてもらったわ けですが、一度も会っていません。この奥さんは良識 があるかただと思っていたら、「まじめな男はたる い!がまんをしてちぢこまって」と言っているという のです。やはり、やくざの女房はどこか違う女だなあ ーと感じていました。 2. 母親は、「よくやくざの家に文句をいいにいったなあ 」といったのを、褒めたとでも思ったのかい? とまた 、96歳でなくなる前に自分を後年、説教しました。 またしかられました。 3. 現在、スシローを20回もいっている知人の、良識派の 老女に、こ件を思い出しながら話をしたら、「私も、 娘さんに建設反対の署名をしてください!」とたのま れたが、署名しなかったというのです。さもありなん とおもいました。自分が近所に迷惑をかけてきたのに。 このやくざは大型やくざではないですが、今でも近所 の人や民間人、サラリーマンをみくだしているのです。 どういう神経をしているのいかね? と二人で先月、 喫茶店でつぶやきました。 4. この時の火の玉のようになった冷静な勇気を、以後、 何十回と出し続けています。熱情ソナタを初めてひ いたときとか。。。十年間も暴力的だった兄をだま らせたとか。。。