<<大山倍達氏の、真剣白刃取りについて、>> <<極真会の思い出、あれこれ 極真空手秘伝本(正)(続)>> <<半年、名古屋道場で、長谷川一幸師匠の指導をうけた >> <<大山倍達氏からのはがき  師範大石代悟氏の助言  >> 不動会という剛柔流の道場に通っていた自分(茶帯)は、当時 最高峰の道場である極真会の名古屋支部ができたというので、 見学兼、入門しに行ました。 その時のいろいろなこと(実話です!): 大山氏の本は20冊以上あります。 (私は20冊以上の本を、熟読し、極真会会報も数年間、取って いました。熱烈なファンでしたから、ファンレターをだしたら、 大山氏から直筆のはがきをもらったこともあります。極真のビ デオも全巻、買って何度も見ましたが高度すぎました。) ①私が一番評価しているのは、空中で、手刀でレンガを割る秘  芸です。また、その教則本秘伝(正)(続)も持っております。  当時でも8000円くらいしました。 ②大山茂師範の、白刃取りの秘芸はビデオで何度もすり減るほど  みました。昔、明治天皇の前で、この演舞をした武芸者は脳を  真っ二つに切られて、死にました。 ③自分の名古屋道場での最高師範は、長谷川先生で1か月に1回  くらいしか来られませんでした。師範代の人は、人さし指1本  で、腕立て伏せをして見せてくれました。親指1本で倒立がで  きる人、倒立歩行ができる人はいませんでした。  (自分は、3本ー3本で倒立ができた程度です。ブロックは)  (割れたり、割れなかったりしました。貫手で、リンゴは)  (簡単に割れたが、梨は中心からずれて、不成功が多かった) ④入門の日は、道場の場所が分からなくて警察署できいたら、  警察官たちが、「あのきちがい集団か、ハハハと笑っていました」 ⑤当時、道場破りがしょっちゅうきてたので、師範級の人は、  殺気だっていました。手加減して返すと、それが分からなくて  またしつこくくるので、歯を蹴りこんだり、腹を蹴りこんで、  肋骨を折ったりしたと、おっしゃってました。   ⑥入門早々から、そういうことを聞かされ、食事を控えてきた  ものばかりでしたから、2時間半の稽古が続いても、ゲロを吐  くような道場生は一人もおらず、女性道場生も真剣そのもの  でした。 ⑦半年もすると、黒人道場生のばねのすごさが話題になり、  先輩のバーベルの重量のすごさにも、目を見張りました。 ⑧そして、100mを13.4秒くらいで走る自分のおるべき場所で  はないことを、直ぐ悟りました。長谷川先生から、手刀に関し  て、手の平の微妙な向きも指導してもらいましたが決意しました。  (後年、パンチング測定器で測ったら、手刀の威力は110kgほ)  (どありましたが、選手級は200-300kgありました。) ⑨20代前半で、東京本部を覗きに行ったときは道場の稽古風景  は見させてくれず、大石代悟師範が、見学者にいろいろ話を  してくれました。走っている車の上を飛んでいるのは、自分  だよとか!   最後の方で、一般の人は大山師範に会っても仕方がないと  いわれました。先生は黙っていても、無言の迫力があって  普通の人は先生の前では、しゃべれない!と言ってました。 ⑪自分も、感動して帰ってきました。倍達氏は、弟子の結婚式  に出掛けていて、会えませんでした。それっきりでした。  後年、大山先生は、正直に「自分は勉強から逃げまくってき  た人間だ」と言われてました。だから、梶原一騎の学問めい  た話にも耳を傾けていたとあります。  大山先生は、煙草を吸っていたので、肺がんで亡くなりま  した。武道家はモルヒネの世話にはならぬと言っていたとか。  たばこを強く、勧めたのは、梶原一騎です。彼との義兄弟  の契りは、後年、破棄されました。 追記 : 1.真樹日佐夫氏はかつて道場生だった麻原彰晃に何度も稽古   をつけていたという逸話もありました。 2.漫画を万冊単位で読んできた自分は、真樹氏の本は、   ヘドロ臭がただようので1、2度しか読まなかった。 3..極真会の分裂は、残念です。