<<自分は、昭和22年生まれの、ませた赤ん坊だった>> 先回自分の5歳ころの、ひまだった幼児期のことをかきましたが、 今回は赤ん坊のころのことを少し、書きます。 自分は戦後に、愛知県の豊橋市にうまれました。父は元軍人で したが、終戦後は慣れない床屋をやっていました。 自分は生まれてすぐ、家人の、赤ん坊である自分に対する態度 がいろいろ違うのに気がつきました。 まず、思い出すのは、 産着を乱暴に着せる父方祖母が嫌いでした。荒っぽく産着に 腕を通させるのです。「腕がおれるんじゃないかー」といつも 不満でした。その点、自分を産んでくれた母親は丁寧に、やさ しく産着を着せてくれて、気持ちがよかったです。 父親は、家の中では評判が悪いらしく、自分を空中に投げては あやしているつもりでいました。あるときは、家族が止めるのに 、いつもより自分を、空中高くほおり投げたです。空中で、「オ ヤジは無理しているなー」とか、「なんどもほおり投げるなよー、 いまにおとすんじゃないか?」と思ったりしていました。」 これは1歳になる前だったと思います。父親の家庭内の立場を 推察していた赤ん坊の自分の発言に、驚く大人もいますが、ま せた赤ん坊はどこにもいたようです。 自分も驚愕した赤ん坊の例 ①ジャズピアニストの、上戸綾氏の息子さんは、しゃべれるように  なったとき、自分の生まれた時の産室での風景やものを正確に表現  したというのです。TVでこの場面を自分はみていました。 ②アメリカや世界には、生まれる前の自分は〇〇〇〇という人物だった  という幼児がいます。これを調べたら、本当にそういう人物が実在  していました。 ③アルミニュームの電気精錬法を発見した2組みの兄弟は、生い立ちが  瓜二つぐらい、そっくりでした。 信用のおける人物の発言、証言は非常に興味深いです。『超常現象でなく』 て、自分がすんでいる世界は、そういうことがおこる世界だと認識して います。