<<座右の銘の『冷静な勇気をだす』は、3,4歳の幼児期から必要だった!>> 勇気と運動神経の両方ない、幼児期の自分: 自分が、保育園時代には、勇敢な園児は、走っている自転車の後ろの 荷台に立って乗っていた。運転する人の頭や肩に両手を載せているだ けだった。びっくりした。真似などできるものではなかった。 これは、運動神経とバランス感覚が抜群なものだけができる芸当である。 自分は全然、できなかった。それと、木登りも2階より高い木に登ってい くのも苦手だった。これは腕の力と、優れたバランス感覚が要求される。 高所恐怖症の人間は、いくら運動神経が良くてもできない。 小学校低学年では、20mの高さの煙突をあがる競争があった。そのてっ ぺんに登れたのは小学校全体で数人であった。登ったはいいが、降りれ なくなった少年もいた。女の子は皆無だった。(シブコならできたかも しれない)まもなく、危ないということで煙突自体が破壊された。 自分は、2階くらいならよいが3、4階の家の屋根にのぼるとか、木に登る のは苦手だった。順手の懸垂も5回くらいしかできなかった。同級生で、 懸垂が低学年で20回できたものもいたが、木登りや煙突のぼりの名人は 、度胸があり、高所が怖くないものが幅を利かせていた。海外でも、高い 煙突にのぼったはいいが、怖くて降りられなくなった大人もいる。 (どうやって降りたかというと、消防自動車が出動したのではなくて、) (とび職の大人が、一緒に抱えるようにしておりたということである。) 小学6年生になったとき、秋に有名な100年に1回の伊勢湾台風が襲来し て、学校や市内の建物を破壊して通りすぎていった。このとき、体育館 兼講堂の屋根がめくれて、半壊状態だった。これを見た、度胸ある同級生 が、てっぺんに登ろうと誘ってきた。釘を足場にして登っている最中に 、これは死ぬかもしれないと思ったが、腰抜けと言われないために、 ついていった。てっぺんから見た市内は、平らになっていて巨大台風の すごさが感じられた。後年の富士山山頂からみた景色より、すごかった。 降りるときは、大きなナイフの刃みたいなブリキ片をさけて、運よく 地上にかえれた。自分も感動して、クラスの友達にこのことをしゃべっ たら、学年主任の先生が自分たち数人をよびだして、2度とするなよ と説教をした。このときの、リーダーは後年、少年院にいった同級生 で、さらに子分を3人もつヤクザになった。彼は、3mもの高さのコンク リート塀の上を、何十mも走りぬく度胸と、運動神経があった。その 、塀の上を走る特技を実際に見せてもらった自分は「へー」「うひょー 」とうなった。 追記: 人生には、勇気が必要だ! 「ばか勇気」「冷静な勇気」など、なんで もいい。いつもいつも、勇気凛々なひとはすごい! と幼児期から 思っていた。 ①伊勢湾台風で、講堂のてっぺんに管理人がのぼったというのは、学年  主任も信じられない!と驚いていた。自分の母親にも告げ口をした。 ②ミスターマリックも、マジシャン修行では度胸をつけるためにビルの  屋上の角で逆立ちをさせられている。 ③極真会の天才、山崎照朝氏も高所訓練をさせられている。 ④高所恐怖症の人が、臆病で、ばからしいと思う人は、スキージャンプ  台のてっぺんに登って、下をみおろすといい。 ⑤自分は、やや高所恐怖症の自分がいやで、直す決意をした。そこで、  小学校3年のとき、学校で1番高い運動場の鉄棒で、教えてもらった  ことのない、後1回まわりに挑戦したのだった。成功してよかった。 ⑥女プロレスラーのジャガー横田や柔道金メダルの井上康生選手も高所  でビビっていた。ジャガーは腰がぬけて、高板飛び込みが出来なかった。 ⑦面白いところでは、猫を4階の屋上から落として、軟着陸させようと  自分が、試みたが猫はあきらかにビビッていた。いやがる猫を離した  ら、下に落ちずに自分の腕づたいに逃げ、顔をひっかいてあっという  間に消えた。TVでも猫はびびっているのを見た。2階くらいは平気ら  しい。やっていたら、猫も死んでいたと思われる。