<<10年で、視力が0.6から1.0へUPしたので>> <<本が、1か月に200冊読める??   >> 体を鍛え、毎朝、ブルーベリージャムをたっぷり塗ったパンを たべていたら、ここ数年で視力が確実にUPした。 皆さんにも、これらを3-5年実行することをおすすめしたい。視 力が両眼とも1.0くらいになると、読書が非常に楽で、多量の本が 読める。 また、車の免許書き換え時に 気苦労が要らなくなった。違反減点されることもない。雨のふる 、暗い夜道の運転でもそう、こまることはなくなる。高速道路の 、看板の見落としもぐーと減る。 ーーーーーーー 目の悪い、昔のはなし ーーーーーーーーーー 自分は、 高校は進学校だったので、3年生ではクラスの半分は眼鏡をかけ ていた。自分も、左目にソフトボールがあたったこともあって、 視力は卒業時には1.0と.0.6くらいだった。 大学に入学してからは、たまに大教室の黒板の字が見えない時が あり、書き写すのに苦労した。右目がいいので、この右で補って いた。そして卒業まで眼鏡を買わずに押し通した。 社会人となって、勉強時間が減ると、視力は超ゆっくり回復して きた。お金に余裕もできたので、いつもはかけない眼鏡も作った。 ニコンの明るい最高級レンズとチタン製のふちの製品で、高価で、 2本は作れなかった。 いつも、胸ポケットに目ガネを忍ばせていることは容易ではなく、 高速道路の大看板をみすごしたこともしょっちうだった。 (ただし、逆走はしなかった。。。) ところが、体を本格的に鍛えるようになったら、視力も徐々にUP してきて、1.0と0.8が20年の長期間続いた。ここで既に運転時に は眼鏡はいらなくなったので、大部たすかった。そして、ここ10 年間は、さらにUPしてきたので、自動車学校での免許更新時の講 習会で、教官2人から、65歳時には「あんたは、体と目が若いの でまだ10年乗れるよ」と言われるまでになった。」 また、定年退職後に24時間ひまなので一体、1か月に何冊の本が 読めるか、実験してみた、元日本IBMの副社長の、成毛 眞氏のい う同時並行読書法にしたがって、挑戦した。結局、270冊くらい、 目を通せた。が、見読であった。残念ながら脳には、残らない! 立花隆氏のように、速読法を信じなく、地下室で熟読するが一番 という、知の巨人のいう読書方法の方が上で、真実である。だか ら、自分はいつも、1か月に10-15冊の読書にとどめている。 昔、三省堂の社長で、読書家だった人は1年に5万冊、目を通してき たとおっしゃっているが、私は「数学オリンピックの問題集&解答 集」を速読出来ないように、ヨガ40年修行法教本も速読出来ない。 これを1週間で教えろ!といった御仁が、だれあろう、かの「ゴ ルゴ13」である。彼は知能指数160の男性として設定されているが、 本多宗一郎氏などは、この漫画100巻を笑い飛ばしている。。。 ハハハのハッ!!」 この漫画を、バイブルのように読んでいるのが麻生元首相で、 中曽根元首相は「麻生のバカ」と言っていた。 知能指数300のフォンノイマンでもできなかったことがある。彼は 原爆を皇居に落とせ! 強調していた人物である。そして、その自 分より上だと褒めていた数学者のクルトゲーデルでも出来なかった ことがたくさんある。彼の超限帰納法はあやしいと言われている。 あのお釈迦さんも、自分の釈迦族が滅びるのを、すくえなかった。 我々、現代日本人は今、たくさんの情報をえるのに恵まれている。 冷静に真実を見よう! 1000年、10000年先にのこる真実はなにか? 何が1番大事で、今、何をなすべきなのか? 参考例: 1. 自分が思うに、奈良の法隆寺の五重の塔は、建てられてから1000年 も倒れないで立っている。伊勢湾台風のような100年に1回の台風 にも耐えてきた。1000年ももつなんて素晴らしい。日本だけだ。 南海トラフ地震に、本気で対処しよう。富士山噴火にも対処しよう。 できる。 2. 日本が第2次世界対戦にはいったのは、明治時代の7大博士 からの誘導もあった。各自が、自分の頭でも考えよう。